吾妻神社

日枝神社唯一の兼務社です

吾妻神社(あづまじんじゃ)

鎮座地:横浜市中区本牧原29ー18

ご祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

例祭日

1月17日(春祭り)
7月17日(夏祭り)

ご神徳

安産・虫封じ・大漁・海上安全・開運出世・必勝・商売繁盛・五穀豊穣・国土平穏 ほか

ご由緒

もとは吾妻権現社・吾妻明神社などと称した。本牧原一円の鎮守である。江戸時代の書「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図絵」にもすでに見えている。
戦災で焼失する前まであった御神体は、その背面に「文和甲午3年(1354)正月17日祠基新謹平重廣」と銘記してあったという。新田義貞の家臣篠塚伊賀守の勧請したものという説の出る所以である。
また、木更津の吾妻社の御神体が波に漂っていたところを、当地の漁師吉太夫が網ですくい上げ天和3年(1683)に祀ったとの説もある。
尚、明治維新の神仏分離に際し、天徳寺の別当を廃した。

お吾妻さま

惜しくも先の戦災で失ってしまったこの御神体は、髪を束ね、右手に剣を持ち、左手を帯にはさまれた長さ1尺8寸2分(約55㎝)の木立像で、昭和の初期には既にすヽやほこりでまっくろであったと言われている。
言い伝えによれば、この御神体はもと、横浜から見て「向う地」と呼ぶ上総の木更津にあって、「お吾妻様」と崇められた吾妻権現であった。この神様たいそう子供が好きで、ある寒い日、村の子供衆が楽しそうに焚火を囲んでいるのを見て、甲冑(かっちゅう)姿の御神体を子供に化身 焚火の仲間に加わった。しかし見慣れぬ者にいぶかった子供達は、この新来の子供を焚火の中に突きころがして逃げてしまった。あまりの熱さに耐えかねたお吾妻様は海に飛び込みそのまま対岸の本牧の浜に流れ着いたのであった。そこで土地の漁師吉兵衛の網にかかり、その焦げた腹部に布を巻いて一宇を建立して祭祀したという。
こんな目に会わされても本来子供好きのお吾妻様は、やはり小児の病難など祈れば必ずなおして下さるので、安産の神・子供の神として信心する者がことの外多くなった。願いのかなったお礼参りには、いつしか粟餅を供えるのが恒例となった。


爾後7月の例祭日には焦げた腹部の帯をかえる「腹帯巻換の神事」が行われることとなり、御本社格の木更津の吾妻神社では、御神体がないので、祭日の前には海を渡って幣束を持ち帰り、祀るのを恒例としていたという。